グレンデールに引越して部屋には何もなかったので、とりあえずIKEAに行って棚一つと机、椅子、それにベッドもない部屋なので、ソファベッドを購入。
早速家に帰り、組み立て置いてみた。
2011/05/30
2011/05/29
最後のツーソンの夜
最後にキャンパスを見てこようと大学にいったらだれもいなくてかなり寂しい気持ちになる。
友人の話だと、「ツーソンの人気が減る=夏の始まり」らしい
そんな夜、トンカツを食べた。
近所のハワイアンバーベキューの店Mama'sで。
最近野菜不足だなと思ってサラダも頼んだら巨大なのがでてきてしまった。
気持ち悪くなるくらい腹いっぱいになってツーソン最後の夜が終わった。
最後にもう一度あえるかなと思っていた友達も結局会えず、また未来の再開を楽しみにすることにした。
友人の話だと、「ツーソンの人気が減る=夏の始まり」らしい
そんな夜、トンカツを食べた。
近所のハワイアンバーベキューの店Mama'sで。
最近野菜不足だなと思ってサラダも頼んだら巨大なのがでてきてしまった。
気持ち悪くなるくらい腹いっぱいになってツーソン最後の夜が終わった。
最後にもう一度あえるかなと思っていた友達も結局会えず、また未来の再開を楽しみにすることにした。
2011/05/28
コミコン
フェニックスでアリゾナ最大と言われるコミックコンヴェンション略してComiConが開かれて。日本でいうところのコミケみたいもんか。
日本ですらそんなイベントに参加したことがなかったのだが、ジョニーがわざわざ連れて行ってくれるということで行ってみることに。
チケットを持っていなかったので、買う列に並んだのだが、昼頃すでに1時待ちくらいの長い行列。
首からぶら下げるタイプの入場カードには「SATURDAY」と書かれており、他の曜日のでは入れないわけだが、会場内は多くの人が「FULL EVENT」という4日連続つかえる入場カードをぶら下げていた。
会場内はマンガやゲームのコスプレイヤーがいっぱい。
やはりほとんどが日本発のものが多く、日本の文字のTシャツを売ってるブースもあった。
あとは映画のキャラクターコーナーとかもたくさん。
メイン会場はフェニックスコンベンションセンターだったのだが、隣の高級ホテルHYATT内でもメイドカフェの特設会場があった。外から覗いて見る限りがっかり以外のなにものでもなかったが・・・。
とりあえいず数時間見て回ったあと、夜のイベントでファッションショーらしきものがあったので見ることに。
やはり西洋人のコスプレイヤーは日本人より似合う(太ってる人を除く)。
ゲームもマンガもキャラ設定は白人であることが多いからだろう。
Tempにいるジョニーの兄ちゃん家によるとStraightじゃないみんなさんが集まりボードゲームをしていた。そこで軽く飯を頂き、ワームのペットを見てから、MidnightにTucsonに戻った。
日本ですらそんなイベントに参加したことがなかったのだが、ジョニーがわざわざ連れて行ってくれるということで行ってみることに。
チケットを持っていなかったので、買う列に並んだのだが、昼頃すでに1時待ちくらいの長い行列。
首からぶら下げるタイプの入場カードには「SATURDAY」と書かれており、他の曜日のでは入れないわけだが、会場内は多くの人が「FULL EVENT」という4日連続つかえる入場カードをぶら下げていた。
会場内はマンガやゲームのコスプレイヤーがいっぱい。
やはりほとんどが日本発のものが多く、日本の文字のTシャツを売ってるブースもあった。
あとは映画のキャラクターコーナーとかもたくさん。
メイン会場はフェニックスコンベンションセンターだったのだが、隣の高級ホテルHYATT内でもメイドカフェの特設会場があった。外から覗いて見る限りがっかり以外のなにものでもなかったが・・・。
とりあえいず数時間見て回ったあと、夜のイベントでファッションショーらしきものがあったので見ることに。
やはり西洋人のコスプレイヤーは日本人より似合う(太ってる人を除く)。
ゲームもマンガもキャラ設定は白人であることが多いからだろう。
Tempにいるジョニーの兄ちゃん家によるとStraightじゃないみんなさんが集まりボードゲームをしていた。そこで軽く飯を頂き、ワームのペットを見てから、MidnightにTucsonに戻った。
2011/05/27
引越し
結局ほとんど寝ずに引越しをすることに。
朝、山から帰ると急いで荷物をレンタした小型トラックに載せ出発。
通勤ラッシュも心配したが、それほど混まずにフェニックスまで到着。
グレンデール周辺で迷ったが、10時過ぎには新居となるアパートに着いた。
10時に来いと言っていたわりには、自分の担当者は12時に出勤するんだとか・・・。
とりあえず、あまりにも何もなかったので、家具や身の回りの物を見つけられないかとそのままトラックでグレンデールをまわる。
フェニックス出身の友達に教えてもらったアローヘッドというショッピングモールを幸い見つけることができたので、そこに入ってみた。
結局そこではピザを食べただけだったが、一瞬にして人口の多さを感じ取ることができた。
帰って、入居手続きを終えた頃には既に2時か3時頃だったが、そこから一緒に来てくれた友達を別の友人宅へ送り届けた。
その友人宅はかなりの豪邸でバスケ台付きプールが中庭にあった。ちょっと携帯の充電だけさせてもらって、その場を後にする。
一人でこの数カ月間なんら変わらないPopsを聞きながらツーソンに戻った。
最後にミス・サイゴンに行っとこうジョニーに話すと、先日会ったばかりのトーマスも着ていた。
彼もジョニー以上にラップが得意で昔、英語の詩を作るときrhyme(韻を踏む)部分を電話越しに手伝ってくれてたやつだということが分かり感動w
朝、山から帰ると急いで荷物をレンタした小型トラックに載せ出発。
通勤ラッシュも心配したが、それほど混まずにフェニックスまで到着。
グレンデール周辺で迷ったが、10時過ぎには新居となるアパートに着いた。
10時に来いと言っていたわりには、自分の担当者は12時に出勤するんだとか・・・。
とりあえず、あまりにも何もなかったので、家具や身の回りの物を見つけられないかとそのままトラックでグレンデールをまわる。
フェニックス出身の友達に教えてもらったアローヘッドというショッピングモールを幸い見つけることができたので、そこに入ってみた。
結局そこではピザを食べただけだったが、一瞬にして人口の多さを感じ取ることができた。
帰って、入居手続きを終えた頃には既に2時か3時頃だったが、そこから一緒に来てくれた友達を別の友人宅へ送り届けた。
その友人宅はかなりの豪邸でバスケ台付きプールが中庭にあった。ちょっと携帯の充電だけさせてもらって、その場を後にする。
一人でこの数カ月間なんら変わらないPopsを聞きながらツーソンに戻った。
最後にミス・サイゴンに行っとこうジョニーに話すと、先日会ったばかりのトーマスも着ていた。
彼もジョニー以上にラップが得意で昔、英語の詩を作るときrhyme(韻を踏む)部分を電話越しに手伝ってくれてたやつだということが分かり感動w
2011/05/26
The Sunrise of Mt. Lemmon
たぶんこのメンバーとは最後の夜になるであろう5人とお別れも兼ねて最後に会いに行った。
そのフランス人の友達の家に行ってみる見たことの(たぶん)ない日本人と会う。たぶん最初で最後となるであろうツーソンでの出会いだったが一応挨拶。一期一会とはまさにこのことだろう。
ちょっと会ってみんなに挨拶して帰るつもりだったが、もう一人くるはずのやつがなかなか来ず、結局midnightに。
勢いでそこからマウントレモンへ行くことになった。深夜だったのと、次の日引越しのため運転しなければならなかったので、自分は車内で爆睡。
朝方まぶしさに目を覚ますと、すでに山には到着していて、ちょうど朝日が登り始めるところだった。
美しい。
そのフランス人の友達の家に行ってみる見たことの(たぶん)ない日本人と会う。たぶん最初で最後となるであろうツーソンでの出会いだったが一応挨拶。一期一会とはまさにこのことだろう。
ちょっと会ってみんなに挨拶して帰るつもりだったが、もう一人くるはずのやつがなかなか来ず、結局midnightに。
勢いでそこからマウントレモンへ行くことになった。深夜だったのと、次の日引越しのため運転しなければならなかったので、自分は車内で爆睡。
朝方まぶしさに目を覚ますと、すでに山には到着していて、ちょうど朝日が登り始めるところだった。
美しい。
芳松食堂
ツーソンでまだ行ってなかった日本料理屋Yoshimatsu
韓国人の友人と最後のランチということで、そこに行くことにした。
途中、人生発のGoogle ストリートビューカーを発見!
Yoshimatsuに着くと、入り口付近に日本らしく蝋でつくられたサンプルのショーケースがあった。あいかわらず日本が誇るべき文化の一つだ。
受付で「お、みたことある」と思ったら、以前夜間のクラスで一緒だった人が働いていた。
最初相手は自分のことを覚えていないようだったが、しばらくして「あ~、あの時の」と思い出してくれた。
撮影禁止だったので、残念ながら芳松弁当を見せることはできないが、天ぷら・寿司・漬物などいろいろ入ってボリューム満点。かなり食べ応えがあった。
天ぷらに関してはツーソンで一番と言っても過言ではない。
待っている間は、一緒に行った友人とこの数ヶ月を振り返り、「あいつは面白いことを言い出すけど計画が甘い」だとか「あの先生はゲイ」らしいとか最後にいろいろぶっちゃけていた。
韓国人の友人と最後のランチということで、そこに行くことにした。
途中、人生発のGoogle ストリートビューカーを発見!
Yoshimatsuに着くと、入り口付近に日本らしく蝋でつくられたサンプルのショーケースがあった。あいかわらず日本が誇るべき文化の一つだ。
受付で「お、みたことある」と思ったら、以前夜間のクラスで一緒だった人が働いていた。
最初相手は自分のことを覚えていないようだったが、しばらくして「あ~、あの時の」と思い出してくれた。
撮影禁止だったので、残念ながら芳松弁当を見せることはできないが、天ぷら・寿司・漬物などいろいろ入ってボリューム満点。かなり食べ応えがあった。
天ぷらに関してはツーソンで一番と言っても過言ではない。
待っている間は、一緒に行った友人とこの数ヶ月を振り返り、「あいつは面白いことを言い出すけど計画が甘い」だとか「あの先生はゲイ」らしいとか最後にいろいろぶっちゃけていた。
2011/05/25
ツーソンお別れ会ファイナル
何人もの人をここ数日で送り出しているわけだが、これからコロラドへ行ってしまう友達の最後のFarewellパーティがクウェート人の友人宅で行われた。
場所を提供してくれたクウェート人の友達はこっちに来たときからの比較的長い付き合いのやつで巨漢(笑)
年齢も自分とひとつ違いで他のアラビックのお兄さん的存在だ。
ビアポン専用テーブルまである完全にパーティ向けなリビングの家。明らかにラグジュアリー…。
証明もフラッシュライトやカラーライトがある始末。
とにかく、主賓の人望からか多くの古い友人も集まり、最後のお別れができた。
また会おうと言いつつもこの先一生合わあい友人もでてくるだろう。
Facebookのおかげでコンタクトは取りやすく、途絶えにくくなったものの、かれらの全ての国に行けるとは限らない(いや、ぜひ行きたいのだが)。
この時にいた友人の出身国は、モーリタニア、クウェート、サウジアラビア、UAE、ブラジル、スペイン、中国、韓国、そして日本。う~んインターナショナルだ。
場所を提供してくれたクウェート人の友達はこっちに来たときからの比較的長い付き合いのやつで巨漢(笑)
年齢も自分とひとつ違いで他のアラビックのお兄さん的存在だ。
ビアポン専用テーブルまである完全にパーティ向けなリビングの家。明らかにラグジュアリー…。
証明もフラッシュライトやカラーライトがある始末。
とにかく、主賓の人望からか多くの古い友人も集まり、最後のお別れができた。
また会おうと言いつつもこの先一生合わあい友人もでてくるだろう。
Facebookのおかげでコンタクトは取りやすく、途絶えにくくなったものの、かれらの全ての国に行けるとは限らない(いや、ぜひ行きたいのだが)。
この時にいた友人の出身国は、モーリタニア、クウェート、サウジアラビア、UAE、ブラジル、スペイン、中国、韓国、そして日本。う~んインターナショナルだ。
2011/05/24
2011/05/20
10 days
5月は多くのアメリカの大学では節目の月
卒業式やセメスターの終わり。
こっちで知り合った多くの人が帰国したり、引越したり、実家に帰ったり、旅にでかけたり。
カレッジタウンと言われるツーソンは静かな今日この頃。
この10日は非常にめまぐるしく過ぎていった。
11日、日本人会に所属する卒業生の卒業おめでとうパーティ
ちょうどこの日に自分はすべての期末試験と授業が終わったので心置きなく参加した。
こっちにきてからよく作るようになったトルテリーニとジャックダニエルブランドの豚すじ肉の和え物を大量につくってみた。漬けマグロ持ってきてくれた人と一緒に握った寿司もうまかった。
12日、クロージングセレモニー
いつもはカジュアルすぎるクラスメイトたちがドレスアップして集う学期に一回のパーティ
前回ほど盛り上がりはなかったようにも感じたが、自分はクラブタイムには踊りに踊った。
その後、何人かでリムジンに乗って夜の街を周遊。一見豪華そうだが、一人6ドル。
最後は一緒にいたうちの一人の家におじゃまして朝まで激しいゲームをした。
13日、予想通り昼頃まで寝てしまったが、友達の卒業ガウン姿を見てみたくてキャンパスに走る。
あの“いかにもアメリカの大学”な紺色のガウンが輝いていた。
その後すぐ、帰国する一人を空港まで見送りに。
夜は、別の友人宅でクレープ会
フランス人によるフランスのクレープは予想以上にうまかった。やはりチョコバナナは世界共通。
なんだかんだであまり自分は飲まなかったが、途中からクラブに行ったオーバーエイジの友人らは、ほぼ全員泥酔して帰ってきた。
14日、今度は朝から本格的な卒業式。
あのオバマ講演のあったでかいバスケの会場で何千人もの人が卒業生を囲んでいた。
感動的だったのは、各Dean(学部長)が自分の学部の生徒を呼び上げ、それと同時にその卒業生が総立ちになり歓声をあげる瞬間。
自分が大学卒業したときは武道館で粛々と式が行われただけで、あまり感動はなかった気がするが・・・盛り上げるのはアメリカの方が上かも。
夜はA君が彼自身のお別れ会としてこの1年の間に知り合った人たちを招いてのさよならパーティ
スピーディに飲むカードゲームのおかげで結構呑んでた気がする。
夜中にサブウェイに行って終了。
15日、朝からペイントボールなるアメリカンな戦場体験ゲームを郊外でやる。
5ドルと聞かされていたのに、25ドルだったのでかなりの人が怒っていたが、以外にエキサイティングで満足。
夜、最後のモノポリー大会
強者とビギナーを交えて激しい戦いが夜遅くまで続けられた。
16日、朝4時には一人がツーソンを発つためモノポリーの最終決着をつけるべく3倍速で最後のゲームを進行。結局、彼は勝ち逃げることができた。
そのまま急いで空港に向かいなんとか飛行機には間に合った。
その後、のりでいきなり西海岸に旅にでることになり、夕方からレンターカーを借りにいった。
こっちにきてはじめて高速を含めた長距離運転をすることに。
夜はテンピ(フェニックスの隣町)にあるHootersで夕食をとり、店員のお姉さんとツーショットを撮らせてもらった。
ASUの夜のキャンパスもみてみた。
17日、深夜にアリゾナとカリフォルニアの境界線を超え、人生でこれ以上ない[時速]で走り続ける。
UCリバーサイドをとおり、朝方アアーヴァインに到着。
なぜか日本のチェーン店をいくつか見つける。
中国系のパン屋で朝食をとる(あとでわかったのだがやたら人気の店らしい)。
そこからUCアーヴァインに行ってみた。印象としては、「黒髪しかいない」
いままでさんざんキャンパス内で金髪をみてきたので、その差におどろいた。
とにかくアジアンの生徒が過半数を占める。
キャンパス内をうろうろすると、ちょうど期末試験らしく多くの生徒がまだ行き交っていた。
建物はどれも比較的きれいで、落ち着いた雰囲気の内装。
例にもれず、UCIrvineグッズをお土産に買って帰った。
昼飯にくら寿司アメリカ1号店へ行き、ちょっとがっかり。
そのまま、次の目的に地ロングビーチへ向かった。行ってみると誰も泳いでいないだだっ広いビーチが広がってた。
それからさらに北へ移動して
サンタモニカへ
約7年ぶりの再来。
曇りということもありまだ肌寒く、海に入ることはできなかったが、当時の記憶が蘇った。
LAに移動して、一泊。
18日、朝から帰路につき、今度は昼間のフリーウェイいをぶっとばす。
自分が運転していたときは、激しい濃霧でかつ眠気もありかなり危険なドライブだった。
フェニックスでランチ代わりにまたHootersで食べ、また店員のおねぇさんと記念撮影。
夕方、レンタカー屋の閉店3分後に到着。すでに店は真っ暗だったがなんとか引きとってもらえた。
19日、日中はこれまでの分を取り返すべく図書館にこもったが、それほど効率よく勉強はできずに終わる。
夜、友人宅で帰国したルームメイトが残していったという日本食の材料をつかって何かつくってあげることに。結局、韓国風と和風のチャーハンをつくった。まずまず好評だったので一安心。
20日、そのあと、12時を過ぎ、なぜか映画に行く流れになり、公開されたばかりのパイレーツオブカリビアン―生命の泉―を観に行った。途中ストーリー展開を見失い寝てしまう。
全体としてはディズニーらしい家族向けなストーリーだった気がする。
とにかく上映中はところどころで笑い声が聞こえるのがこっちらしい。
一旦は帰宅するものの、深夜4時頃に山へドライブすることに。4人でただひたすらスピードウェイを西へ。
朝方寝て、昼頃起きるという完全に学生な生活スタイルはやばい。
卒業式やセメスターの終わり。
こっちで知り合った多くの人が帰国したり、引越したり、実家に帰ったり、旅にでかけたり。
カレッジタウンと言われるツーソンは静かな今日この頃。
この10日は非常にめまぐるしく過ぎていった。
11日、日本人会に所属する卒業生の卒業おめでとうパーティ
ちょうどこの日に自分はすべての期末試験と授業が終わったので心置きなく参加した。
こっちにきてからよく作るようになったトルテリーニとジャックダニエルブランドの豚すじ肉の和え物を大量につくってみた。漬けマグロ持ってきてくれた人と一緒に握った寿司もうまかった。
12日、クロージングセレモニー
いつもはカジュアルすぎるクラスメイトたちがドレスアップして集う学期に一回のパーティ
前回ほど盛り上がりはなかったようにも感じたが、自分はクラブタイムには踊りに踊った。
その後、何人かでリムジンに乗って夜の街を周遊。一見豪華そうだが、一人6ドル。
最後は一緒にいたうちの一人の家におじゃまして朝まで激しいゲームをした。
13日、予想通り昼頃まで寝てしまったが、友達の卒業ガウン姿を見てみたくてキャンパスに走る。
あの“いかにもアメリカの大学”な紺色のガウンが輝いていた。
その後すぐ、帰国する一人を空港まで見送りに。
夜は、別の友人宅でクレープ会
フランス人によるフランスのクレープは予想以上にうまかった。やはりチョコバナナは世界共通。
なんだかんだであまり自分は飲まなかったが、途中からクラブに行ったオーバーエイジの友人らは、ほぼ全員泥酔して帰ってきた。
14日、今度は朝から本格的な卒業式。
あのオバマ講演のあったでかいバスケの会場で何千人もの人が卒業生を囲んでいた。
感動的だったのは、各Dean(学部長)が自分の学部の生徒を呼び上げ、それと同時にその卒業生が総立ちになり歓声をあげる瞬間。
自分が大学卒業したときは武道館で粛々と式が行われただけで、あまり感動はなかった気がするが・・・盛り上げるのはアメリカの方が上かも。
夜はA君が彼自身のお別れ会としてこの1年の間に知り合った人たちを招いてのさよならパーティ
スピーディに飲むカードゲームのおかげで結構呑んでた気がする。
夜中にサブウェイに行って終了。
15日、朝からペイントボールなるアメリカンな戦場体験ゲームを郊外でやる。
5ドルと聞かされていたのに、25ドルだったのでかなりの人が怒っていたが、以外にエキサイティングで満足。
夜、最後のモノポリー大会
強者とビギナーを交えて激しい戦いが夜遅くまで続けられた。
16日、朝4時には一人がツーソンを発つためモノポリーの最終決着をつけるべく3倍速で最後のゲームを進行。結局、彼は勝ち逃げることができた。
そのまま急いで空港に向かいなんとか飛行機には間に合った。
その後、のりでいきなり西海岸に旅にでることになり、夕方からレンターカーを借りにいった。
こっちにきてはじめて高速を含めた長距離運転をすることに。
夜はテンピ(フェニックスの隣町)にあるHootersで夕食をとり、店員のお姉さんとツーショットを撮らせてもらった。
ASUの夜のキャンパスもみてみた。
17日、深夜にアリゾナとカリフォルニアの境界線を超え、人生でこれ以上ない[時速]で走り続ける。
UCリバーサイドをとおり、朝方アアーヴァインに到着。
なぜか日本のチェーン店をいくつか見つける。
中国系のパン屋で朝食をとる(あとでわかったのだがやたら人気の店らしい)。
そこからUCアーヴァインに行ってみた。印象としては、「黒髪しかいない」
いままでさんざんキャンパス内で金髪をみてきたので、その差におどろいた。
とにかくアジアンの生徒が過半数を占める。
キャンパス内をうろうろすると、ちょうど期末試験らしく多くの生徒がまだ行き交っていた。
建物はどれも比較的きれいで、落ち着いた雰囲気の内装。
例にもれず、UCIrvineグッズをお土産に買って帰った。
昼飯にくら寿司アメリカ1号店へ行き、ちょっとがっかり。
そのまま、次の目的に地ロングビーチへ向かった。行ってみると誰も泳いでいないだだっ広いビーチが広がってた。
それからさらに北へ移動して
サンタモニカへ
約7年ぶりの再来。
曇りということもありまだ肌寒く、海に入ることはできなかったが、当時の記憶が蘇った。
LAに移動して、一泊。
18日、朝から帰路につき、今度は昼間のフリーウェイいをぶっとばす。
自分が運転していたときは、激しい濃霧でかつ眠気もありかなり危険なドライブだった。
フェニックスでランチ代わりにまたHootersで食べ、また店員のおねぇさんと記念撮影。
夕方、レンタカー屋の閉店3分後に到着。すでに店は真っ暗だったがなんとか引きとってもらえた。
19日、日中はこれまでの分を取り返すべく図書館にこもったが、それほど効率よく勉強はできずに終わる。
夜、友人宅で帰国したルームメイトが残していったという日本食の材料をつかって何かつくってあげることに。結局、韓国風と和風のチャーハンをつくった。まずまず好評だったので一安心。
20日、そのあと、12時を過ぎ、なぜか映画に行く流れになり、公開されたばかりのパイレーツオブカリビアン―生命の泉―を観に行った。途中ストーリー展開を見失い寝てしまう。
全体としてはディズニーらしい家族向けなストーリーだった気がする。
とにかく上映中はところどころで笑い声が聞こえるのがこっちらしい。
一旦は帰宅するものの、深夜4時頃に山へドライブすることに。4人でただひたすらスピードウェイを西へ。
朝方寝て、昼頃起きるという完全に学生な生活スタイルはやばい。
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