2010/12/24

Eve 2010

なんと地元ではホワイトクリスマスとなった。

何年ぶりだろう。
覚えてないので初めてくらいの感覚。



去年のイヴはイタリアンだったので、今年はフレンチにした。
Bistro Ripaille

小さい店で、カウンターとテーブルが2つだけのこじんまりとしたところだったが、ディッシュはどれもちゃんと作られていた。
ローストビーフと鴨肉がうまかった。

地元には知らない老舗がまだまだあるもんだ。

雪が積もりはじめ道路の線が見えない中、日が変わる頃に帰った。
サンタらしき不審者は飲みの繁華街以外では見かけなかった。
(ミニスカートの蟹股男なら何人か見かけたが)

2010/12/18

いつもの

大学時代のいつものメンバーが集まってくれた。忘年会も兼ねて。

場所は横浜にある「焼肉どうらく

どれもいちいちうまい

焼肉が韓国料理だと主張するコリアンもいるが、焼いているだけなので料理といえるだろうか。
一方、鉄板焼きを日本の料理として外国人にもてなす日本人も多いが、これまただだ鉄板の上で焼いているだけだ。

要は焼き加減、切り方、具材の質がモノを言う。

とにかく、今回の見せはどの部位を食べてもうまかった。

さらに注文がペンタッチという最先端なのもかなりいい。

自信を持っておすすめできる店だ。

横浜にしかないのが残念。

2010/12/16

鍋 焼き鳥

冬の和食と言えば鍋と焼き鳥

東京にいる年始に結婚パーティを控えた友達と久々に食べた。


焼き鳥、焼き牛の希少部位も扱っていてなかなかいい店だった。


2010/12/15

出迎え

帰国して早々、地元の友だち(東京在住)と合流した。
スーツケースを引きながら歌舞伎町の華の舞ハイジア店へ
ここはいつも空いてるらしい。

年始の同窓会の打ち合わせも兼ねていたが、近況報告がメイン

日本食に飢えていたので、焼きそばやら玉子焼きやら寿司やら片っ端から食べた。

日本食はうまい

2010/12/14

一時撤退

日が変わっても寝ることなく3時くらいまで起き続けていた。

というのも朝早くに飛行機に乗るため4時過ぎに家をでることにしていたからだ。
最後の最後で同じアパートの日本人が部屋に来てくれた。

この人の帰国はあと数日後だが、この日でもうTucsonでは会えなくなる。
最後はさすがに日本語でいままでお世話になったお礼と、また将来日本で再会を約束した。

その後、約15時間の行程を経て一時帰国。

2010/12/13

サビノ・キャニオン ベアー・キャニオン

昼にTucsonを去る前に一度会っておこうと韓国人のミエとランチに行った。
Tucsonでも指折りのおいしい韓国料理の店を知ってるとのことで連れて行ってもらった。
実際、メニューには焼きそばやてりやきチキンなどもあったが、カルビとチャプチェを注文。

半端なくうまかったがでかすぎて結局箱詰めでお持ち帰りすることになった。


その後、一人の日本人の母親と叔母が遊びにきて、一緒にSabino Canyon
行ってみると日の入りをきれいにみられるのあBear Canionということがわかり
ルート変更








トロールで着いた先には小さなテーブルくらいしかなかったが、ピクニック気分を味わう。
サボテンだらけの道なき道を下り、水のない川辺までいった。
Tucsonはとにかく乾燥していて元川だった水のない川はたくさんある。

日が沈むころに山をくだり帰ってきた。

2010/12/12

POOL

UofAの2年生で、選択で日本語をとっているネイティブのジョニーと、前にあるクラスが一緒だったアレクサンダーとともにPool(ビリヤード)に。
郊外の専門店はミサの関係で閉まっており、結局大学内のpool施設でやることになった。まあこっちの方が安くていい(1時間1ドルくらい)

と、その前に腹ごしらえということで、ちょうど4thアベニューで年に一度のフェスティバルがあったので行ってみた。



それの中でなんちゃらポリィッシュとかいのうを食べた。
かなりボリュームがあってうまい。

その後、大学にもどりプレイ開始。ジョニーとアレクサンダーはやはりうまい。
スポーツや勝負の類は言葉の壁を超える…というかあまり必要ないから交流しやすいのかもしれない。

その後、Tucsonで一番うまいといわれるOld Pekinへ
予想以上にうまかった。エビのザラメ&マヨ炒めオレンジ添えが新しい。



アレクサンダーの彼女テイラーも混じり、ボウリングへ
これまた30分99セントと破格の料金だった。

ジョニーの部屋に戻り、日本語のテスト対策に個人レッスンを開始。
やはり、「てにをはこそあどは」学習者にとっては難解らしい。
彼は日本のアニメやゲームに関心が高く、早く日本語を流暢になって日本に期待らしい。

夜中の2時ごろ、家まで送ってもらう。
アレクサンダーは隣のユタ州の大学に編入しまうためここでお別れ。
それぞれ未来の再会を誓い手を振った。

2010/12/11

去る人残る人

朝、自分の上の部屋にすむ某会社派遣生の課長さんが部屋を去った。
一旦アメリカ内の支社でこの学期の成果を会社に英語でプレゼンするらしい。

午前中はテストがあったが、ウコンの効果はあったものの頭痛が残り苦しんだ。
その後は自分のアパートに戻り、2時に芸術鑑賞。
シルク・ドリームというサーカスとイリュージョンを混ぜた大道芸のステージバージョン



大学のシアター内でやるのでアクセスがいい。
客層はほぼシルバーとファミリーのみ(シルバーはジャパニングリッシュか?)

夜は同じアパートの人の部屋で中国人に日本食をふるまう会。
急きょ招かれた側のためかなりアウェイな感じかと思いきや、意外にも半分は自分も知ってる友達で安心した。

鍋をつくっていたのだがスープはキムチ。
でもこれは日本で売られているものなので、日本人カスタマイズされているはず。

プライベートだけでなく、ビジネスでも中国人との信頼関係を気づくためにはまずはとことん飲むというのは
どの業界でも共通してよく聞く話だが、今回はその「飲み役」を決めるべく日本のババ抜きと中国のトランプゲームで次々と犠牲者をつくっていった。
6人くらいで約70本のボトルのビールが空になった。

ビアポンもやってみた。
ビアポンこっちでは一般的だが、かなり厳しいルールで飲みまくっていた。

最後のボトルをあけるころ、あまりの過熱ぶりに突然ビンタをした友人からの口論が始まる。
中国語なのでなんで怒っているかもわからずみんなで必死で止めていたが、最後は仲直りというか
それ以上の強い絆をつくった感じで終わった。

一人の友人が言っていたのが、「どうも歴史的に日本人に対してネガティブなイメージを持ってしまってまいがちだが、君らとの関係で
友好的な見方ができるようになった。本当にうれしいことだ。これからもつながっていこう。」と、かなり熱い青春気ドラマばりのエンディングで別れを惜しんだ。

実際、この中には各国に帰国後は生涯再開することはない人もいるかもしれない。
が、一度築いた両国間の感覚と関係はお互いの人生においてプラスに働く可能性はある。そう信じたい。
いまの時代Facebookなどで情報交換、近況報告だけは簡単にできる一方で一期一会の大切さは変わらないだろう。

2010/12/10

しめくくり

少し買い出しをして夜はSAHARAで締めくくりのパーティー

ここでもこの日を最後に会えなくなるメンバーもいたため盛大にやった。

自分は次の日テストも控えていたので、早々に帰ったが、自分が帰った1時間後くらいに
アパートの管理人にうるさすぎて叱られていたらしい。

確かに何人かは完全に酔い、狂っていたが…

2010/12/09

Closing ceremony

朝、プレゼンテーションの試験を最後に一学期のクラスがすべて終わった。
パワポでそれなりのスライドをつくったが、短い時間で説明しなくてはならなかったので、いつも以上に早口になっていた気がする。

1セメスターの終わりの終了式が夜にあるので、スーツを着ようと考えていたが革靴がないことに気づきモールに駆け込んだ。
モールに行く途中のバスでおそらく今学期一番信頼し合える中になったチャンチャンと、近くのアパートに住む交換留学生ジウォンに出くわす。

ジウォンと一緒にモールをまわることに。彼はお肌に気を使っているらしく美容クリームを探していた(笑)
自分はH&Mの革靴24ドル…日本円にしたら下手な安売り店より破格に安い気がする。

とにかく夕方バンでセレモニーのある会場へ
場所はダブルツリーホテル内の大広間


いままでの先生たちも正装して続々と集まる。

料理はメキシカンであまり気が進まなかったが、3回おかわりした。

一通り授賞式が終わると、スピーチの時間。
自分も極めて短い時間だが英語のスピーチをした。と言ってもステージで紙をみてもいいので、大したことではない。ただ無駄に緊張した。

その後はいくつかイベントなどがあり、おもったより遅くに終わった。

普段なかなか見ないきちんとした格好に新鮮さを感じつつも、この後はまた別の道に進んでいくクラスメイトもいると思うと切ない感じもした。

とにかく一区切り。

2010/12/08

A last class at a restaurant

あるクラスは先生の計らいで、最後の一つ前の回で全課程が修了。最後の日はクラスメイトを引き連れてGentle Ben'sで打ち上げをした。




クラスメイトだったダニエラは帰国してしまうためこの日だった。
2時間ひたすらしゃべったが、ときどき伝えたいことが思うように伝わらないもどかしさに苦しんだ。

とにかく夜空が天井のこの店はハンバーガーがうまい。

2010/12/07

同い年の実業家

夜中だったがタイトルに魅かれて日本の生放送をみてしまった。(といってもニコ生だが)
緊急対談!日米経済の行方12月7日午後5時より田原総一朗×竹中平蔵

対談の最後の数分に「それにしても彼女はすごいですよね~」「彼女みたいになりたいからってゼミに入ってくる生徒もいるんです。」みたいな感じで触れられていたのは山口絵里子

小学校時代はいじめられ、中学でちょっとグレたが、柔道に出会って変わり、大学時代はカナダ留学でぶっ倒れるまで勉強して、途上国の開発について学び、官と民(三井物産)でインターンも経験し、バングラディッシュ産の素材でつくったバッグを日本で売る会社の社長をやってる人。

一部の人からは崇高な目でみられることだろう。

同い年生まれということで「やるなこいつ」と思う反面、「やりたいことじゃなかたら絶対できないな」と心底思った。

社会企業家的な人は絶対偽善ではやるべきでない。
この人みたいに根っから好きじゃないと続かないだろう。

興味のある人はこちらから


2010/12/05

歴史のズレ

中国人のクラスメイトとチンギス・ハン(モンゴル帝国)あたりの歴史の話をしていたとき、「元」の時代に日本に攻めてきた話をすると、「え、中国は平和的に発展してきたから、よその国に侵攻したことは一度もないと歴史でならった」と言っていた。

確かにモンゴル帝国は今の中国とは異なるが、中国の年号を清⇒明⇒と順に遡っていくと元になるわけで、「元寇」は日本人なら小学校から歴史の教科書から学んだはず。
なので、自分も「やつらなんちゅ~歴史を習ってきとるんじゃ」と思いつつ口には出さなかった。

真実は一つのはずだが、どちらかの歴史が歪曲されているはずだ。
世界中の歴史の教科書を見比べるといろんなズレが出てくるんだろう。


尖閣諸島の領有権問題についてエッセイを書いた際、いろいろ両者の歴史を調べていた。(と言っても中国語がわからないので、中立的に(?)英語の記事や文献をたどるしかないのだが…)

どちらにも言い分があり、それを支える証拠を出し合っている。

New York Timesのある記者がやたら中国よりな記事を書いていたりする。
が、それは日本から海外に対して正しい情報と強い訴えを発信していなからだとブログに書いている日本人もいた。

18世紀の日本の地図には尖閣諸島は中国の領土として描かれている一方で、1970年以前の中国の地図には日本の領土として書かれていたりもするが、両者は自分たちに都合の悪い情報は出さなかったり、相手に不利な情報ばかりだそうとする。

何百年も遡れば、元々は単なる岩山の無人島だったわけで、国が関与するほど魅力のある島でもなく、どこの国のものでもなかったはずだ。

どの歴史を採用して、どの法に則るかで認識は変わってくるかもしれないが、戦後の「現代」の見方からすると尖閣諸島は日本のものになる気がする。

石油の埋蔵の可能性を指摘されてから領有を主張するような後出しジャンケンは賛同しがたい。

2010/12/01

日本と近隣国とアラブ系諸国の生徒

ついに12月になってしまった。


同じアパートの日本人の部屋に奥さんと子供(1歳)がはるばる来ている。
水曜の夜、夕食をごちそうしてくれるということで遠慮なくおじゃました。

まだ幼い歩き方の子供は見慣れぬ顔に怖がっていたが、みんなでしゃべりが和むにつれ次第に落ち着いてきた。

最後に一度だっこさせてもらったが、さすがに親以外の人がだっこすると泣き出してしまっていた。


久々に日本人同士だが日本語で話してみて、それぞれ学校でどのような情報を得て、それぞれどのような印象を持っているかわかった。

特にアラブ系とアジア系の感覚の違いなど。

いま中国マーケットが拡大しつつあるが、日本のバルブ時代の光景と近い。
そういった意見はこれまでも何度となく耳にし、目にしてきたが、実際具体的にどういうところからそういえるのか。

それはアメリカに来ている学生の質から判断できるというものだ。

どれくらいの割合の生徒が真剣に学びに来ていて、どれくらいの勢いがあるのか。それは個人レベルで、団体レベルでアジア系の各国とアラブ系の各国でそれぞれどう違うのか。



大半の中国人とアラブ系の学生は同じ言語民族同士でかたまり、休み時間や授業中でさえも自国語でしゃべることが多い。

一方で日本人同士は英語だし、いろんな国の生徒と話す。
ネイティブの先生からみても真面目な生徒が多いのが「今の」日本人の特徴らしい。

しかし、日本がバブルの頃は逆だったらしい。
大量の学生が留学してきては、日本人ばかりでかたまり、日本語で話していたという。

つまり・・・

有事の緊張もある今日この頃なので、近隣他国をあまり批判めいたことや煽るような記述はここでは避けるが、日本に帰った際は友人・知人に共有したい話だ。